アメリカは大抵8月、または9月に学校が始まり5月または6月に学校が終わる。私事ながら、6月半ばに無事博士課程一年目を終えることができ、とてもほっとしている。
この一年を振り返って、自分自身最も変わったと思うことは「人との接し方」だと思う。最初、アメリカへ行ったとき私はしょっちゅう”Sorry”と言っていた。しかし、この行為は二つの点でアメリカ人から誤解される可能性がある。
一つは、”Sorry”と言うことで、明らかに「自分が間違っている、自分に非がある」ことを積極的に認めているように受け取られてしまうということだ。人身事故を起こした場合”Sorry”と言うと全責任を認めてしまうことになる、というのはよく聞く話だ。
日本語には「ごめんなさい」にも「すみません」の意味が含まれるが英語の”Sorry”にそのような意味はない。実際の生活で、人とぶつかりそうになったり、人の目の前を通過したりするとき、思わず”Sorry”と出てしまうことがあった。
本来ならそのような時は”Excuse me”と言うのが適切である。また、二点目として日本は「すいませんがよろしくおねがいします」や、話を円滑にするため「すいません」と挨拶のように挟む傾向がある。
しかし、アメリカではそのようなことをいう習慣がほとんどないので、実際「すいませんがよろしくおねがいします」を英語に直そうとしてもぴったりとした訳は思い当たらない。最初、私はアメリカ人が話すことに対して一生懸命”response”しようとしていた。
話しかけてくるアメリカ人に対して、日本にいるときと同じようににこにこしながら相手を思いやる言葉や同情する言葉(「そういう時困るよねぇ」、「それは大変だったねぇ」など)を探し、返答していた。もちろん英語でもそのような表現は可能である。
しかし、ある時この私の態度は周囲の人にあまりいい印象を与えていないように感じた。
そこで他のアメリカ人の話し方を注意して観察してみると、たいていの人は相手の話を聞いた後、あいづちはそこそこに自分の似たような経験などを話し始めることが多いことに気づいた。私は、それに対して「私のことを話しているのにすぐ自分の話をし始めるアメリカ人を”annoying!”」と思っていたが、それがアメリカ主流文化のよいとされる話し方である。
アメリカではその態度を”Friendly” や“Open”のように、ポジティブに理解されるのだ。そのことに気づいた後、私は積極的に自分の話をするようになり、友達と非常に仲良くなれるようになった。
また、話し方も以前は遠慮がちに、時には謙遜していたが、このような態度は「自分に自信がない」とか「能力不足」などあまりポジティブに理解してもらえない。どんなに英語に自信がなくても文法が間違っていても、「自信を持って」伝えたいことをはっきり言うと、たいていの人はポジティブに理解してくれる。
アメリカは移民の国で、様々な人種や文化が存在しているため英語がネイティブではない人やアクセントがある人はたくさんいる。「私はあなたにこれを伝えたい」という意思を持って話そうとすることは、完璧な英文法で自信なさ気に遠慮がちに話すより、よっぽどポジティブに理解してもらえるだろう。
初めのうちは、ネイティブの英語の早さに圧倒され、さらに日本文化も手伝ってつい聞き役になりがちだが、まずは相手の目を見て自分のことや自分の文化のことを話してみることは英語上達、異文化適応の第一歩だと思う。
さて、日本に一時帰国している今、せっかく身につけたこの態度が日本でどのように理解されるだろうか。。。(汗)

